黒田節~黒田節に歌われる母里太兵衛~

黒田節の元となった母里太兵衛の逸話を紹介したいと思います。黒田節の歌詞は以下の逸話が黒田節で歌われているといいます。

黒田家の武将である母里太兵衛が、あるとき大名である福島正則のもとへ使いとして赴いた。母里太兵衛と福島正則はともに酒豪として知られていた。主家である黒田家の使いとはいえ、二人が席をともにすれば必ず酒が話題に上るだろうと案じた黒田家は、母里太兵衛に使い先での飲酒を固く禁じていた。
酒好きの福島正則は、黒田家から使いが来るその日を、昼間から酒宴を開いていたという。そこへ黒田の使いとして母里太兵衛がやってきたときいた福島正則は、黒田家の母里太兵衛に是非にと酒を勧める。飲酒を固く主君である黒田家から言い渡されていた母里太兵衛は、福島正則からの勧めを固く固辞し続けたという。
酒が入っていたことも手伝ったのだろうが、福島正則は
「この大杯を飲み干したなら、ぬしの望みのものを取らせよう。」
とまで言ったという。だがそれでも母里太兵衛は固辞し続けた。
これに業を煮やした福島正則が
「名に負いし母里太兵衛ですらこれしきの酒に背を向けるとは、黒田の者は腰抜けばかりか!黒田など腑抜け腰抜けの藩であるな!」
とまで言い放ち、母里太兵衛を挑発したという。
こうまで言われては主家である黒田の面目が立たないと思ったのだろうか。ようやく母里太兵衛は首を縦に振った。
「そこまで仰せられては断るわけにもまいりますまい。」
と、差し出された直径一尺、朱塗りの大杯を三度、空にしてけろりとしていたと言われる。
望みのものを取らせると言った福島正則は、大いに母里太兵衛を称え、天下に名高い名槍・日本号を褒美として取らせた。
無事に黒田家の使いとしての役目を果たし、さらに名槍・日本号を手にした母里太兵衛は、黒田藩歌の「筑前今様」を吟じながらゆうゆうと帰っていったという。

この逸話が後に替え歌となり、現在謡われている「黒田節」になったと言われています。余談ですが、黒田節の元になったといわれるこの逸話の「日本号」とは、元は正親町天皇が所有していたもので、信長から秀吉の手を経たのち福島正則が所有していた、正則自慢の天下の名槍なのです。